イトの「アメリカの息子」は、アメリカ黒人文学をはじめて世界文学の水準にまで高めた作品として知られる。それ以前の黒人文学を知らないぼくには、その評価が正しいのかどうかよくわからないが、この小説には読者の心臓をわしづかみにして放さないような力を感じる。
この小説が、21世紀の
康泰旅行團 日本今日においても正典として残っているとすれば、小説のジャンルを超えたその力によるものだ、とぼくは思う。
眼を閉じたかと思うとすぐに、誰かに肩をつかまれ、揺すぶられでもしたように、急にパッと眼をさまさせられたみたいだった。彼は、何を見ているのでも何を聞いているのでもなく、仰向けにベッドに横たわっていた。やがて、カチッとスイッチをひねりでもしたかのように、室内がうす青い暁光に満たされたのがわかった。彼の内部のどこかで一つの
康泰旅行團 日本想念が形づくられた。朝なのだ。日曜の朝なのだ。彼は肱をついてからだを起し、耳を澄ますかたちに顔をかしげた。母親も、弟も、妹も、熟睡しているらしく、軽い寝息をたてているのがきこえた。彼は室内に眼をやり、窓の外に降っている雪に眼を向けた。だが、彼の頭の中にはそれらのもののどの一つの影像も形造られなかった。それらのものはおたがいとは無関係に、ただ存在しているだけだった。雪や、暁光や、軽い寝息が、彼の上に奇怪な呪縛を投げかけた。それは恐怖の魔法の杖に触れられて、現実と意味をおびさせられるのを待ち受けている呪縛だった。彼はベッドに横になり、衝動の停止状態にはまりこんで、生者の国に起きることができないかのように、ほんの数秒間、ぐっすり眠り込んだ。
やがて、心内の暗い部分からの予感の呼びかけに答えて彼はベッドから飛び出し、はだしの足で部屋の中央に立った。心臓が早鐘のようにうち、唇が開き、脚が震えた。彼ははっきり
康泰旅行團 日本と眼をさまそうとしてもがいた。硬ばった筋肉がゆるむにつれて、不安に襲われだし、自分はメアリイを殺したのだ、彼女を窒息させ、首を切り落とし、死体を燃えている炉の火のなかへほうりこんだのだということが想い出されてきた。