あああ。またまた駄文を連日、アップすることになる。
かつては、アップすることを日課とし、励みとし、
アップしなければ、皆さんから忘れら
隆胸れるような、根拠の無い焦燥感のようなものも抱いていた。
まったくの幻想であった。
思い込み、とも言う。
「皆さん」って、なに?
自分が勝手に創り上げたものに他ならない。
その思い込みは、自分の中で解決した今日この頃。
氷解した。
で、・・・他のサイトをちょっとうろうろして、ため息。
なにがため息かというと、面白くないからだ。
しかし、自分が行くサイトに集まる人々の書いているものが面白くないだけであって、
自分のチョイスが良くない。
ただ、それだけだ。
もっと面白いサイトは山のようにあるのに、そこに行かない自分が悪い。
書くのもハバカラレルような感想が次から次へとアタマに浮かぶ。
書きたい衝動を抑える。
最近は、サイトにアップしている誰かの記事
肌膚評估系統にコメントをつけて、そのままアップしないことが多い。
まあなんと、建設的でない虚しい無駄な時間の過ごし方。
それをわざわざ文字にして、自分の蝶ブログに書く意味・・・まったく、ない。
自分は唯一無二。
他の皆さんも、それぞれ、唯一無二。
世の中、唯一無二だらけなので、そういう人々と考えや感性が同じなわけがない。
奇跡的ピンポイント的接点はあるにしても。
ひとりで、突っ込んでみても、じつにくだらない作業である。
嫌なら見なければいいのに、なぜ、見に行くのか。
そこに、得体の知れない、(解明できるけれど、したくない)根源がある。
自分は、「こういう人が大っっっ嫌いだ」と確信を強めるのには、意味があり、意義深い。
なんでも、意味の無いものは無いってことだ。
しかし、貴重な持ち時間。
人生の残り時間がカウントダウンされるっていうのに、暇つぶし?
わたしの小学校の担任の先生が、「人生は死ぬまでの時間つぶし」とよく口にしていた、とリアル時に話題にあげると、
こう言った人がいる。
「人生は、死ぬまでの憂さ晴らし」
なるほど。
憂さ晴らしは、暇つぶしより、ずっと良いに違いない。
嫌なものや、嫌いなものには近寄らず、
絶えず、面白いと感じることに接して、自分を面白がらせる。
「面白い」は、そうとう深い。